2008年04月25日

毅然として

首を毅然と挙げて生きることは私の習性です。
わたしの心もなかなか不屈で強靭です。
王さまが私の顔を見つめられるときでも
私は俯目にはならないでしょう。


――ハインリッヒ=ハイネ 「わが母上に」



 ハイネの詩集にあった言葉です。これ以上の強さはないと思う。

 「習性」を辞書でひくと

@習慣によってつくられた性質。くせ。ならい。
A動物のそれぞれの種に一般的に認められる行動様式。

とあります。
 つまり、(おそらく生まれてから)これまで首を毅然と挙げて生きてきたからそれが習性になったということ。
 誇り高さや強さは、何度打ちのめされても立ち上がるという習慣によってつくりあげられていくものなんですね。

「首を毅然と挙げて生きることは私の習性です」


 いつか、そう言い切れるようになりたいものです。
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2008年04月09日

過去と現在

「目の前に老人がいたとして、その方に何も聞くことはないのか、ということですよ」


私の尊敬する講師が、講義を終えたあとの雑談でおっしゃった言葉。

 歴史学の意義や重要性といったものに悩んでいた私が「過去だけを研究することに意味があると思いますか」と問いかけたのに対して、講師が答えたのが上記の言葉だった。

その老人を、ただの歳だけをとったくだらないものだと思うのか」とも。

 歴史を学ぶ(あるいは研究する)姿勢とはどういうものか、端的に表した言葉だと思う。
 私が携わっている学問は文献史学ではないけれども、歴史にかかわる学問なので。過去と現在をどう切り結ぶか、どう繋げてみるのか、ということが重要なのだろう。ただ時間が流れているというだけでは、過去と現在は接合しえないのではないかと思う。
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2007年02月01日

話が分かる

「ゴキブリは話が分かると思う」


バイト先の同僚と蛾の熾烈な争いを目撃したという、友人のY氏(というか柚氏)が言ったセリフ。

例えば夜、あなたは自分の部屋以外でゴキブリと遭遇したとしよう。
あなたはハッとして立ち止まる。あるいは、これまでの彼との出会いを振り返るかもしれない。
相手もハッとして立ち止まる。重なる視線。
彼は気まずそうに動きを止める。あなたも気まずそうにしながらも、彼から視線を外さず、そっと部屋の電気を消し、その場をそそくさと立ち去る。
彼はあなたがいなくなるまで、その場を動かない。彼は恐竜が生きていた頃から現在まで生き抜いてきたすえに獲得した本能で、このような場合あなたを追いかけてはいけないと知っている。
その点、蛾や蝶はまったく心得ておらず、彼らとは同じ時間を共有できないというのだ。


ゴキブリが動きを止めるのを見て、その背後に悠久の時間の流れを感じる柚氏をすごいと思うが、見つけたらとどめを刺さなければ安心して眠れない私としては「しっしっ!」や「出てけー!!」という言葉で家から出て行ってくれる方がありがたい。それから、皿洗いなどをしている時に、顔の高さと同じくらいの位置で壁にくっつくのはやめて欲しい。

いずれにせよ、ゴキブリにさえ人権(?)のようなものを見出せる柚氏のポジティブさが光る一言。
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2006年12月24日

クリスマス・イブ

「クリスマス・イヴは恋人たちの日で、クリスマスは家族の日なんだ」


終論でクリスマスどころではない先輩が言った言葉。
大いに納得してしまった。言い得て妙である。

果たしてどちらに重きがおかれるものなのだろうか。
というか、サンタクロースはいつ来るのか。イヴの夜? それともクリスマスの夜?
友人に聞くと、イヴに来ていたという人が多い。
ウチのサンタクロースはクリスマスの夜に来ていた。沖縄は遠くてイヴに間に合わなかったのか。
それでは良いクリスマスを!
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2006年11月17日

我が志は

「我が志は天に届かずとも、地を舐めはいたしますまい」

―和泉かねよし 『二の姫の物語』 フラワーコミックス 小学館




 黄の国の宰相の息子・青推は、聡明な一の姫でもなく、愛嬌のある三の姫でもなく、愚図姫と揶揄される二の姫に仕えることになった。初めは嫌がっていた青推であったが、出仕初日にして二の姫の宮中におけるあまりな扱いを目の当たりにする。
 妹である二の姫をただの石ころとしか思わぬと言い切り、「有能が無能を退ける」ことに間違いがあるかと問う一の姫に、青推は言い切る。
「しかし、あなた様には情もございません。人を慈しむ徳というものがございません」
 その後、ひかえろと叱責され、青推が言ったのが上の言葉である。
 なので自分の主である二の姫を蔑ろにするアナタ(一の姫)に頭を下げることは出来ません、というわけである。

「地を舐めは致しますまい」という部分に、確固たる意思が見えて好きだ。
この話には白居易の「長恨歌」の「在天願作比翼鳥 在地願爲連理枝(天に在りては願わくば比翼の鳥ならん 地に在りては願わくば連理の枝ならん)」の部分が使われていて、個人的には嬉しい。
(作中では「天に住まわば比翼の鳥 地に住まわば連理の枝ならん」だった)
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2006年10月18日

承知のうえ

「迷惑かけているのは承知のうえなんだから」


友人のH氏と卒論の話をしたとき、あまりプライベートなことに突っ込んで聞けない云々といったところ、H氏が言った言葉。「こちらは調査できれば万歳なわけだから」とも。
確かに話を聞いている時点ですでに迷惑はかけているわけだから、迷惑ついでだよなと思う。
調査に限らず、人生全般においても当てはまる言葉だろう。
俄然やる気が出た。

もっとも、私はこの言葉でやる気が出て調査へ行ったが、やっぱり話を聞けずにすごすごと帰ってきた。
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2006年10月06日

次に来る季節

「次に来る季節がいちばん好きだ。」

―銀色夏生 『Balance』 角川文庫



 挙げたのは、銀色夏生の「いつもいつも次に来る季節が好きだ」という詩の終わりの部分である。高校1年の時に読んで以来、ずっと好きな言葉だ。
 詩の場合、私がどうのこうのというよりも詩そのものを読んだ方が理解しやすいと思うので、引用する。

「いつもいつも次に来る季節が好きだ」

好きな色は何、と聞かれて返事に困った。
行きたい場所はどこ、と聞かれて、わからなかった。
すぐに返事ができないことが多くて、優柔不断だと落ち込んだ。
でも、好きな色がないのではなくて、好きな色という質問が、うまく理解できなかったのだ。好きな空の色ならうすい青だし、好きな服の色なら白。好きな地面の色は草原の緑。好きな水の色は透明。嫌いな色があるのではなく、嫌いな組み合わせがあるだけ。
行きたいのは、国ならアイルランド。夕方なら海。星ならオリオン座。夢なら恋人。
なりたいのは、考古学者。なりたいのは、やさしい人。なりたいのは、テニスの試合でアドバンテージをとれる人。なりたいのは、海の近くに住む人。なりたいのは……。

いつも次の角を曲がったところで、もっと素晴らしい出来事に会えるような気がしてる。明日になれば。次の休みは。これから出会う友達は。来週は。こんど買う服は。この次の試験は。次の恋は。
だから、
季節といえばいつもいつも、次に来る季節がいちばん好きだ。

そんな風に活発になれたらいいと思うけれど、そうでないことが多い。自然体で、上記の言葉のような姿勢の人に憧れる。
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2006年09月30日

死にに行くつもりで

「死にに行くつもりで面接に行け」


隣の研究室の先輩が、隣の研究室の友人に与えたアドバイス。
たるみがちな日々にビシリと現実を叩き付けた言葉。

気合は入ったが、本当に死にそうで怖い。
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2006年08月31日

いっしょにいたなぁ

「いっしょにいたなぁって、思ってるんだよ」

―伊藤悠 『皇国の守護者』3(佐藤大輔・原作) YJCU 集英社



上記の言葉は、漫画『皇国の守護者』3からの引用だが、本編とはまったく関係ない。あとがきページに乗っている「ねこのシューティングスター」という漫画の中の一言である。
何でも、伊藤氏と長年共に暮らしていた猫が逝ってしまったらしく、そのことについて描かれた漫画であるが、ねこの流れ星を見送った後「いないなぁって思っているのか」と言われ、答えたのが上記の言葉。
そう答えたときの作者(代理)の表情がぐっと来る。切なくなるし、何だか温かな気持ちになる。いないことを思うより一緒にいたことを思う、その通りだよね。

伊藤氏の漫画はこの『皇国の守護者』しか読んだことがないが、かなりウマいと思う。何より、キャラクターが生き生きとしているように感じる。
前作を読みたいと思うのだが、絶版になっているらしく…。復刊ドットコムで復刊交渉予定になっているみたいですね。
興味があれば。是非。
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2006年07月24日

誇りは足元に置けばいい

「誇りは足元に置けばいい」


 授業中に講師がおっしゃったセリフ。

 まさにその通りだろう。私が大学で今のコースを選んだのは、足元を固めたかったからであって、何度も頷いてしまったほど感銘を受けた。けれども、足元に置くのがなかなか難しいのであって、そう言い切れる人間になりたいと思う。

 この先生の講義は「辛い」とか「大変だよ〜」などと言いつつ、なるべく取るようにしているのだが、学問に対する姿勢や生き方についてなどを、さらりと言う時があって、カッコいいと思う。
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2006年05月11日

熱い魂!!

「火傷しそうな熱い魂で動いてるんだ!!」

―橋口隆志 『超速スピナー』 てんとう虫コロコロコミックス 小学館



 堂本瞬一は運動神経抜群な小学5年生。負けず嫌いな性格から始めたヨーヨーだったが、その内、日本ジュニアチャンピオン北条院聖斗との出会いなどもあり、ヨーヨー使い(スピナー)の面白さと奥深さにひきこまれていく。

 上記のセリフは、THP-J(チームハイパフォーマンス-ジャパン)の真のメンバーを決める為の合宿で堂本瞬一が言ったセリフ。過酷なサバイバルレースをクリアしたメンバー達を待っていたのは、自分のヨーヨープレイにおけるテクニック・スピード・クセなどをそっくりコピーしたアンドロイド、ポルックスとのタイマン勝負だった。自分のコピーが相手なので中々勝負がつかない。焦ってトリックのペースをあげると、ポルックスもそっくりペースをあげてくる。おまけにポルックスはアンドロイドなので、疲れるということがないのだ。そんな中、限界を超えるためにペースをあげたライバル北条院に触発されて、瞬一もペースアップ、理論上超えることができないはずのポルックスのペースを追い抜く。瞬一はポルックスに言い放つ。

「テメーは、電気で動いてるんだろうがよ、おれたちはちがう!!」

 それに続くのが上に挙げたセリフである。それは「電気なんかより、デッケーデッケー力だ!!!」
 その言葉の通り、瞬一や他のメンバーは自分の限界を超える。

 この漫画は、まさにヨーヨー好きによるヨーヨー好きのためのヨーヨー漫画である。もう分かってもらえていると思うが、「おいおい、ヨーヨーにそこまでするかよ」というツッコミを入れてしまう。とにかく、熱い。熱すぎる感もある漫画である。この熱さというか馬鹿らしさというかヨーヨーへの情熱を楽しむ漫画だと思う。
 少年漫画には必要な精神であるだろうし、いつか使ってみたいセリフなので紹介した。それほどまでに打ち込めるものが欲しいね。
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2006年04月16日

言葉は死なない

言葉は死なない。

―コルネーリア・フンケ 『魔法の声』 訳・浅見昇吾 WAVE出版



 メギーの父親のモルティマは、メギーに本を読んでくれたことはない。何故なら、彼の声は魔法の声だったからだ。そのことによって、メギーたちは重大で深刻で恐ろしい物語に巻き込まれていく。

 上に挙げた言葉は、誰のセリフというわけではなく、地の文である。メギーの母親のおばであるエリノアは、現実世界を恐れており、安らぎは本の中にしかないと思っている。親しいものが(おそらく)死に、そして自分も死ぬかもしれないという絶望にくれたとき、エリノアはとある言葉を思い出した。「死に対抗できるのは、愛、真実、美、知恵、そしてなぐさめしかない」。けれども、彼女はこの言葉が誰の言葉なのか思い出せない。思い出せるのは言葉だけ。
 言葉というのは、そういうものだと思う。例え本が失われたとしても、言葉は死なない。作者の名を忘れても、言葉は残る。

 この本のテーマは、「言葉の持つ力」についてである。言葉は魔法の力を持つ。それは世界を変える力である。誰しも、本を読んだり人の話を聞いたりして、その言葉が自分の在り方に影響を及ぼすという経験をしたことがあると思う。この本の中では、実際に世界は変えられてしまう。『闇の心』という一冊の本から全てが始まる。本は言葉を書き留めたものであるが、けれども、本が力を持つわけではない。その中に書かれた言葉が力を持つのである。そしてその力を持つ言葉は、例え本が失われたとしても死なないのだ。

 そもそも名言録的なものを書き始めたのが、自分が感銘を受けた言葉を記録していこうという発想からだったので、この「言葉は死なない」という言葉はとても印象深い。
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2006年04月13日

感遇

『弧鴻 海上より来り
 池シ黄 敢て顧みず』


―張九齢 「感遇」 『唐詩選(上)』 前野直彬注解 岩波文庫



 「感遇」は、朝廷を追われた作者が、その境遇に対する感慨を詠んだ詩らしい。全部で12首あり、これはその第4首目。ちょっと全部あげてみます。

弧鴻 海上より来り(ここう かいじょうよりきたり)
池シ黄 敢て顧みず(ちこう あえてかえりみず)
側らに見る 双翠鳥の(かたわらにみる そうすいちょうの)
巣くうて三珠樹に在るを(すくうてさんしゅじゅにあるを)
矯矯たり 珍木の眞頁き(きょうきょうたり ちんぼくのいただき)
金丸の懼れ無きを得んや(きんがんのおそれなきをえんや)
美服は人の指ささんことを患え(びふくはひとのゆびささんことをうれえ)
高明は神の悪みに逼る(こうめいはかみのにくみにせまる)
今 我 冥冥に遊ぶ(いま われ めいめいにあそぶ)
弋者 何の慕う所ぞ(よくしゃ なんのしたうところぞ)


 もしかして漢字が見られない人もいるだろうか。だとすると失礼。
 というか、シーサーは「シ黄」の字が出ないんですね。そもそも右側は黄に似ているけど黄ではないのですが、こう表記しておきます。「眞頁」もごめんよ…。

 弧鴻というのは、たった一羽のおおとり。そのおおとりが、はるか海上よりやってきた。このおおとりは大志があるから、池やシ黄(水溜り)なんて小さなものは目もくれようとしない。このおおとりは、横目で珍しい木の上で巣を作る鳥や、美しい服を着た人、立派な家を持つ人を見ながら通り過ぎる。いずれも、猟師を恐れたり、人に憎まれる心配をしなくてはならない。このおおとりは、そんなことをせずただ冥冥(大空)にあそぶ。猟師が追おうとしたところで、何も出来まい。
 そんな意味合いである。
 このおおとりは、もちろん作者自身のことである。

 遥かな志があるので、ちっぽけなものには目もくれないという、この姿勢がすごいと思う。このおおとりは海上から来ているのだから、池も水溜りも、本当にちっぽけなものに見えるだろう。
 また、三珠樹(葉が真珠でできているという木)や美しい服、立派な家は誰しもが憧れる富や権力の象徴であるが、それすらも横目で見るのである。そのようなものを超越したこのおおとりに憧れる。座右の銘というか、生きていく上で目標にしたい姿勢だ。
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2006年03月21日

土鍋の中の混沌

@「まな板あっての包丁だからね」
A「土鍋の中で混沌(カオス)が…」



今日のソバ作りの際に、花鳥風月先輩が言った言葉。

@はソバを切っているときに。
 先輩は、まな板がなかったので下までちゃんとソバが切れていない事態を見て言ったのだが、確かにまな板と包丁はセットである。世の中には欠かせないものがある、また包丁もまな板がなければその真価を発揮できないように人も自分だけでは成り立たないので謙虚にいきなさい or そのまな板役に徹してもそれは恥ずかしいことじゃない(「泥にまみれろよ」)ということだと、私は勝手に解釈した。名言だと思った。

Aはソバを食べ終えて豚肉のしゃぶしゃぶをしようかとしているときに。
 残りのソバで作ったラビオリを湯がくのを先にするか、豚しゃぶを先にするかという話になった時に、両方いっぺんにしたらどうだという案が出たが、その結果どうなるかということを考えて出た言葉。先輩は単に「カオス」と言っただけだが、その場にいた全員の頭の中では混沌と書いてカオスとルビが振られたと思われる。表現の光る一言。


ソバ作りに関してはこちら↓
○事前学習→http://tinen-toriaezu.seesaa.net/article/27490858.html
○木灰ソバを作ろう!1→http://tinen-toriaezu.seesaa.net/article/27491705.html
○木灰ソバを作ろう!2→http://tinen-toriaezu.seesaa.net/article/27492814.html
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2006年03月20日

何でも楽しめる

「大丈夫大丈夫。あいつは何でも楽しめるからな。よつばは無敵だ」

―あずまきよひこ 『よつばと!1』 電撃コミックス メディアワークス



 綾瀬さん家の隣に引っ越してきた小岩井さん家には、ちょっと変わった女の子「よつば」がいる。元気なよつばは、周囲の人々(とーちゃん、ふーか、えな、あさぎ、ジャンボetc.)を振り回す。いつも元気で明るく一生懸命で変、そんなよつばには母親がいない。とーちゃん曰く「海外でひろってしまってなんだかわからないうちに育てることになった」という。
 それを聞いたふーかに、大雨をずぶぬれになって楽しむよつばを眺めながら、とーちゃんが言ったのが上のセリフ。
 何でも楽しめるということは、嫌なことや辛いことがない(というのは言いすぎだとしても)ということで。見習いたい、あるいは努力してみたい心意気。よつばは意識してそうしているわけでなく、本当に素で楽しんでしまえるのだろうけど。そういう人は本当に無敵だと思う。

 あずまきよひこ氏の漫画はこの『よつばと!』と『あずまんが大王』しか読んだこと無いけど、どちらも普通の生活がテーマになっていて好き嫌いが分かれると思うけど、私は好き。

 ところで「ちびまる子ちゃん」も普通の生活の話だよね?でも、あれとは少し違う気がする。原作読んだこと無いけど。失礼。
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2006年03月16日

私も学びたい

「あなたの生きかたを私も学びたい」

―田中芳樹 『アルスラーン戦記9 旌旗流転』 光文社 カッパ・ノベルス



 パルス王国の若き国王アルスラーンが、部下であり仲間である女神官ファランギースの過去の話を聞いて言った言葉。

 ファランギースが浮かない顔をしているのを見て、アルスラーンはその訳を尋ねる。ファランギースが語ったのは哀しい過去だった。ファランギースはその美貌、女神官としての能力、武芸、医術等の知識などずば抜けたものを持つ女性であるが、その代償に恋を失わなくてはならなかった。超然として悩みや苦しみとは無縁に見える彼女は、過去の絶望や挫折に屈することなく立ち直ったからこそあるのだ。そのことを知って、アルスラーンは言う。


「話してくれてありがとう、ファランギース。悩みがあるなら何とかしてやりたいなどと考えていたが、思い上がりだった。あなたの生き方を私も学びたい」


 アルスラーンは若くして国王になり、周りは皆、年上で、経験豊富で、機知に富む人物ばかりである。そんな中、良き王であろうとするアルスラーンの姿勢がとてもよく表れている。アルスラーンは謙虚さと王族としての立場と誇りの調和が取れた素晴らしい人物だと思うが、私も彼の謙虚さを見習いたい。


【蛇足】
ところで『アルスラーン戦記9』にはファランギースとギーヴの以下のような会話がある。

「いやいや、ファランギースどの、夜ごとおれの夢にあらわれて愛の詩をささやく美女は、さてはあなたであったのか。厚いヴェールをかぶっているゆえ正体が知れなんだが」
「厚いヴェールをかぶっているのに、どうして美女とわかるのじゃ」
「むろん純粋な愛ゆえに」
「それなら最初から正体がわかるはずじゃ」
(後略)


これを読んで同じ田中芳樹の『銀河英雄伝説外伝 ユリアンのイゼルローン日記』の中のポプランとコーネフの会話を思い出した。

(イゼルロ−ン要塞内に幽霊が出るという噂がたつ。それをポプランが「首なし美女の幽霊さ」といったことに対して、何故首がないのに美女とわかるのかと尋ねられて)
「顔がなくても美女なら美女とわかるのが歴戦の勇者ってものだ」
「連敗をかさねても歴戦は歴戦だからな」
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