『弧鴻 海上より来り
池シ黄 敢て顧みず』―張九齢 「感遇」 『唐詩選(上)』 前野直彬注解 岩波文庫
「感遇」は、朝廷を追われた作者が、その境遇に対する感慨を詠んだ詩らしい。全部で12首あり、これはその第4首目。ちょっと全部あげてみます。
弧鴻 海上より来り(ここう かいじょうよりきたり)
池シ黄 敢て顧みず(ちこう あえてかえりみず)
側らに見る 双翠鳥の(かたわらにみる そうすいちょうの)
巣くうて三珠樹に在るを(すくうてさんしゅじゅにあるを)
矯矯たり 珍木の眞頁き(きょうきょうたり ちんぼくのいただき)
金丸の懼れ無きを得んや(きんがんのおそれなきをえんや)
美服は人の指ささんことを患え(びふくはひとのゆびささんことをうれえ)
高明は神の悪みに逼る(こうめいはかみのにくみにせまる)
今 我 冥冥に遊ぶ(いま われ めいめいにあそぶ)
弋者 何の慕う所ぞ(よくしゃ なんのしたうところぞ)
もしかして漢字が見られない人もいるだろうか。だとすると失礼。
というか、シーサーは「シ黄」の字が出ないんですね。そもそも右側は黄に似ているけど黄ではないのですが、こう表記しておきます。「眞頁」もごめんよ…。
弧鴻というのは、たった一羽のおおとり。そのおおとりが、はるか海上よりやってきた。このおおとりは大志があるから、池やシ黄(水溜り)なんて小さなものは目もくれようとしない。このおおとりは、横目で珍しい木の上で巣を作る鳥や、美しい服を着た人、立派な家を持つ人を見ながら通り過ぎる。いずれも、猟師を恐れたり、人に憎まれる心配をしなくてはならない。このおおとりは、そんなことをせずただ冥冥(大空)にあそぶ。猟師が追おうとしたところで、何も出来まい。
そんな意味合いである。
このおおとりは、もちろん作者自身のことである。
遥かな志があるので、ちっぽけなものには目もくれないという、この姿勢がすごいと思う。このおおとりは海上から来ているのだから、池も水溜りも、本当にちっぽけなものに見えるだろう。
また、三珠樹(葉が真珠でできているという木)や美しい服、立派な家は誰しもが憧れる富や権力の象徴であるが、それすらも横目で見るのである。そのようなものを超越したこのおおとりに憧れる。座右の銘というか、生きていく上で目標にしたい姿勢だ。