『新美南吉童話集』
新美南吉 作
もしも私の好きな童話を5つ挙げろと言われれば、その中の2つとして「ごん狐」と「手袋を買いに」を挙げるだろう。いずれも、新美南吉の作品であるらしい。
この2つ以外の新美の童話を、私は初めて読んだ。
切ない。いや、物悲しい。それが初読の感想である。中にはほのぼのとしたストーリーもあるが、何故か胸がいっぱいになる。
この本には11の童話(幼年童話10編を1つと数えた)が収録されているが、そのどれもが、愛と悲しみに溢れている。「ごん狐」や「手袋を買いに」を思い出してもらえれば、感じが掴めるだろう。1つの話の中に、悲しみがあり、そしてそれを包み込む愛がある。「牛をつないだ椿の木」、「おじいさんのランプ」などは人はどのように生きるべきかを伝えている。そしてその生き方とは、自己犠牲を伴なった愛である。「疣」や「小さい太郎の悲しみ」、「久助君の話」などは少年の心の成長を切なく描いているが、成長するということは、新しい悲しみを背負い、そしてそれを乗り越えることであるように思われる。
勿論、上記の解釈は私の感想であって、いずれの童話も押し付けがましいものではない。
ただ感じるままに鑑賞してもらいたい一冊。
2007年03月10日
2007年02月09日
車輪のように
『かかしと召し使い』
フィリップ・プルマン 作/金原瑞人 訳
これは、スプリング谷の正統な後継者であるかかし卿と、その召し使いの少年ジャックの冒険の物語である。
文句なしに面白い!
冒険、戦い、正義、悪、誇り、ユーモア、そして愛。その全てがこの本には詰まっている。
読んでいると気が晴れ晴れとするし、何より楽しい。「感動した」でも「考えさせられる」でも「面白い(だけ)」でもなく、「楽しい」のだ(もちろん、この本は面白いし、得るもののある本だろう)。久し振りに「楽しい」といえる本を読んだ。
かかし卿とジャックの冒険はハラハラするような出来事の連続で、けれども何だかんだで事態は良い方へ転がって行く。ジャックと一緒にかかし卿に突っ込んだり、2人は助かるのかとドキドキしたり…子どもに戻ったようだ。
文章にはユーモアがある。例えばこうだ。
訳者は金原瑞人。読んで損はないだろう。装丁も可愛く、是非手にとってもらいたい一冊。
これが児童文学の王道だと思う。
フィリップ・プルマン 作/金原瑞人 訳
これは、スプリング谷の正統な後継者であるかかし卿と、その召し使いの少年ジャックの冒険の物語である。
文句なしに面白い!
冒険、戦い、正義、悪、誇り、ユーモア、そして愛。その全てがこの本には詰まっている。
読んでいると気が晴れ晴れとするし、何より楽しい。「感動した」でも「考えさせられる」でも「面白い(だけ)」でもなく、「楽しい」のだ(もちろん、この本は面白いし、得るもののある本だろう)。久し振りに「楽しい」といえる本を読んだ。
かかし卿とジャックの冒険はハラハラするような出来事の連続で、けれども何だかんだで事態は良い方へ転がって行く。ジャックと一緒にかかし卿に突っ込んだり、2人は助かるのかとドキドキしたり…子どもに戻ったようだ。
文章にはユーモアがある。例えばこうだ。
山賊の頭は残忍そうな男だった。ピストルの弾がずらりとならぶベルトを二本、両肩から交差するようにかけていて、腰にも同じものを一本巻き、そり身の短剣と、二丁のピストルをつけている。ほかにも…(中略)…そして、そういう武器を全部なくしたとしても、人ふたりを刺し殺せそうな口ひげをしていた。
訳者は金原瑞人。読んで損はないだろう。装丁も可愛く、是非手にとってもらいたい一冊。
これが児童文学の王道だと思う。
2006年10月04日
山間に息づく
『種山ヶ原の夜』
宮沢賢治 原作/男鹿和雄 翻案
これは、宮沢賢治の書いた舞台劇を、絵本にしたものである。
種山ヶ原で炭焼きを営む伊藤は、不思議な夢を見る。夢には種山ヶ原の樹霊たちが登場し、木を伐らないでくれと訴えるのだ。
けれども、木を伐らなくては伊藤も生きては行けない…。
宮沢賢治が書いたのはそこまでらしいが、この絵本でははっきりとした樹霊の言葉が書かれている。
「そだらそれでいすさ。伐った木は大事に使ってけらい。いい木炭、焼げばいがべ」
男鹿氏はこのセリフを「山の懐の大きさを思って加えた」という。付け加えたのが良かったのかまずかったのかは、人それぞれ感じ方が違うと思うので、是非読んでみてほしい。
男鹿氏はスタジオジブリの「もののけ姫」や「ゲド戦記」などのアニメーションに関わっているそうだが、流石に絵本の絵は素晴らしい。宮沢賢治の物語はそのどれもが幻想的な世界を持っていると思うが、それを絵本で表現するのは大変だと思う。
疲れたときに読むといいかもしれない。
宮沢賢治 原作/男鹿和雄 翻案
これは、宮沢賢治の書いた舞台劇を、絵本にしたものである。
種山ヶ原で炭焼きを営む伊藤は、不思議な夢を見る。夢には種山ヶ原の樹霊たちが登場し、木を伐らないでくれと訴えるのだ。
けれども、木を伐らなくては伊藤も生きては行けない…。
宮沢賢治が書いたのはそこまでらしいが、この絵本でははっきりとした樹霊の言葉が書かれている。
「そだらそれでいすさ。伐った木は大事に使ってけらい。いい木炭、焼げばいがべ」
男鹿氏はこのセリフを「山の懐の大きさを思って加えた」という。付け加えたのが良かったのかまずかったのかは、人それぞれ感じ方が違うと思うので、是非読んでみてほしい。
男鹿氏はスタジオジブリの「もののけ姫」や「ゲド戦記」などのアニメーションに関わっているそうだが、流石に絵本の絵は素晴らしい。宮沢賢治の物語はそのどれもが幻想的な世界を持っていると思うが、それを絵本で表現するのは大変だと思う。
疲れたときに読むといいかもしれない。
2006年09月12日
高き志を謳歌する
『大志の歌:童話の学校 校歌・寮歌』
安野光雅 作
現在は成功して汚職の1つもこなすようになった大人でも、青春時代には誰もが清らかで、高い志を抱いていたはずだと作者はいう。青春時代に歌った寮歌・校歌を歌えば、あの若き日の血がよみがえるだろう…。
そこで蝦蟇高等学校(縮めて蝦蟇高)の作者は、天下に大寮歌祭の開催を提案した。その「大志の歌の祭り」のもようを記録したのが、本書である。ただしこの寮歌祭、普通と違うのは、その対象が人間を除く生物の学校の校歌・寮歌だということだ。
内容は「大志の歌の祭り」にて紹介された34の校歌・寮歌などの歌詞、生きとし生けるものに送られた招待状、参加申込書の記入例、注意事項、当日の会場でのアナウンス、挨拶などなど。
くどうなおことのはらのみんな『のはらうた』のようなものというと分かりやすいだろうか? これは、架空の(あるいは童話の世界の)校歌・寮歌集なのだ。
動物たちの校歌・寮歌を作ってしまおうというこのユーモアが大好きなのだが、本書はたd楽しませるだけでなく、読む側にもある程度の知識を要求する。例えば、初めに掲載されているのは、作者の出身高校である茨城県筑波山村私立 蝦蟇高等学校の校歌である。引用してみよう。
どうだろう。「がまの油」を知っていなければ、いまいち面白さが分からないのではないか。この調子で、童話やら昔話やら童謡やらに取材した歌が多く、また風刺がきいている。
日本語の面白さを感じつつ読んでもらいたい一冊。
安野光雅 作
現在は成功して汚職の1つもこなすようになった大人でも、青春時代には誰もが清らかで、高い志を抱いていたはずだと作者はいう。青春時代に歌った寮歌・校歌を歌えば、あの若き日の血がよみがえるだろう…。
そこで蝦蟇高等学校(縮めて蝦蟇高)の作者は、天下に大寮歌祭の開催を提案した。その「大志の歌の祭り」のもようを記録したのが、本書である。ただしこの寮歌祭、普通と違うのは、その対象が人間を除く生物の学校の校歌・寮歌だということだ。
内容は「大志の歌の祭り」にて紹介された34の校歌・寮歌などの歌詞、生きとし生けるものに送られた招待状、参加申込書の記入例、注意事項、当日の会場でのアナウンス、挨拶などなど。
くどうなおことのはらのみんな『のはらうた』のようなものというと分かりやすいだろうか? これは、架空の(あるいは童話の世界の)校歌・寮歌集なのだ。
動物たちの校歌・寮歌を作ってしまおうというこのユーモアが大好きなのだが、本書はたd楽しませるだけでなく、読む側にもある程度の知識を要求する。例えば、初めに掲載されているのは、作者の出身高校である茨城県筑波山村私立 蝦蟇高等学校の校歌である。引用してみよう。
蝦蟇の歌
前を流れる櫻川
後ろは深き筑波山
蓮咲く沼のほとりこそ
わが故郷の誇りなれ
朝露ふくむ車前草の
群れ咲く下にひそやかに
世の行く末を憂いつつ
わが少年の日は過ぎぬ
痔の妙薬といつわりて
がまの油をこねまわし
あるは刀の刃をとめて
人をあざむく悲しさよ
我に秘めたる誇りあり
鏡の牢を閉ざすとも
己が姿に たわむれて
如何でか汗を流すべき
霞ヶ浦を遠く見て
天に誓いをたてし日の
熱き涙は わが形見
ああ、筑波山わが母校
どうだろう。「がまの油」を知っていなければ、いまいち面白さが分からないのではないか。この調子で、童話やら昔話やら童謡やらに取材した歌が多く、また風刺がきいている。
日本語の面白さを感じつつ読んでもらいたい一冊。
2006年07月22日
無邪気な残酷さ
『年をとったワニの話:ショヴォー氏とルノー君のお話集1』
レオポルド・ショヴォー 作/出口裕弘 訳
これは友人から借りた本です。友人も書評を書いていましたが、私も(今頃)書いてみようと思います。較べてみるのも面白いかな。
副題(シリーズ名)にもあるが、これはレオポルド・ショヴォー氏が、息子のルノー君に話して聞かせた物語を収録したもので、本人による挿絵がついている。
「ノコギリザメとトンカチザメの話」、「メンドリとアヒルの話」、「年をとったワニの話」、「おとなしいカメの話」の4つが収録されているが、そのどれもが独創的だ。表題作「年をとったワニの話」の主人公であるワニの恋人はタコだし、「おとなしいカメの話」に出てくるカメの恋人はリスである。この組み合わせがすごい。
ストーリーはとてもシュールである。馬鹿馬鹿しい話と言えるかもしれない。だが、その馬鹿馬鹿しい話が、ひどく恐ろしい。ブラック・ユーモアとでもいえばいいだろうか。ノコギリザメとトンカチザメは、とにかく酷いことをするのが大好きだし、ワニは自分の孫を食べてしまう。メンドリだって、自分の子供が死んでも悲しまない。「おとなしいカメの話」以外全て誰かが死ぬ表現があるが、ショヴォー氏は、その描写をごまかさない。これを、子供に話して聞かせたということに驚いてしまう。
そんな心配をしていて、はたと気づく。この話のキャラクターたちがすることは、「もしかすると私だってしてしまいそうなこと」だ。書かれているのは、人間ならば誰でも持っていそうな残酷さや無邪気さではないだろうか。
ショヴォー氏がルノー君に話して聞かせているので「ノコギリザメとトンカチザメの話」などには合間にルノー君の言葉が入ることがあるが、ルノー君は無邪気である。
「するとパパ、二ひきは、目がさめてみたら、死んでたってわけ?」
「どうして、クジラのしっぽを、ちょんぎりたいなんて考えるの」
「貝がらのなかには、なにが入ってるの?」
その指摘はとても鋭く、ハッとする。貝がらのなかには何が入っているのかという質問に対して、ショヴォー氏は「とてもおいしいもの」と答えているが、さらに「おいしいものって?」と突っ込んで訊かれ、「貝に住んでいる生き物の体」だと答える。この言葉のやり取りが、なかなか出来ないことが多いように思う。
とても恐ろしい話だが、つい読んでしまう。さらりとして、リズムと語感が良い文章である。これ、読み聞かせしたら面白いかな。読むほうは大変そうだが。聞かせるタイミングもね。
しかし、一度は是非読んでもらいたい一冊。
レオポルド・ショヴォー 作/出口裕弘 訳
これは友人から借りた本です。友人も書評を書いていましたが、私も(今頃)書いてみようと思います。較べてみるのも面白いかな。
副題(シリーズ名)にもあるが、これはレオポルド・ショヴォー氏が、息子のルノー君に話して聞かせた物語を収録したもので、本人による挿絵がついている。
「ノコギリザメとトンカチザメの話」、「メンドリとアヒルの話」、「年をとったワニの話」、「おとなしいカメの話」の4つが収録されているが、そのどれもが独創的だ。表題作「年をとったワニの話」の主人公であるワニの恋人はタコだし、「おとなしいカメの話」に出てくるカメの恋人はリスである。この組み合わせがすごい。
ストーリーはとてもシュールである。馬鹿馬鹿しい話と言えるかもしれない。だが、その馬鹿馬鹿しい話が、ひどく恐ろしい。ブラック・ユーモアとでもいえばいいだろうか。ノコギリザメとトンカチザメは、とにかく酷いことをするのが大好きだし、ワニは自分の孫を食べてしまう。メンドリだって、自分の子供が死んでも悲しまない。「おとなしいカメの話」以外全て誰かが死ぬ表現があるが、ショヴォー氏は、その描写をごまかさない。これを、子供に話して聞かせたということに驚いてしまう。
そんな心配をしていて、はたと気づく。この話のキャラクターたちがすることは、「もしかすると私だってしてしまいそうなこと」だ。書かれているのは、人間ならば誰でも持っていそうな残酷さや無邪気さではないだろうか。
ショヴォー氏がルノー君に話して聞かせているので「ノコギリザメとトンカチザメの話」などには合間にルノー君の言葉が入ることがあるが、ルノー君は無邪気である。
「するとパパ、二ひきは、目がさめてみたら、死んでたってわけ?」
「どうして、クジラのしっぽを、ちょんぎりたいなんて考えるの」
「貝がらのなかには、なにが入ってるの?」
その指摘はとても鋭く、ハッとする。貝がらのなかには何が入っているのかという質問に対して、ショヴォー氏は「とてもおいしいもの」と答えているが、さらに「おいしいものって?」と突っ込んで訊かれ、「貝に住んでいる生き物の体」だと答える。この言葉のやり取りが、なかなか出来ないことが多いように思う。
とても恐ろしい話だが、つい読んでしまう。さらりとして、リズムと語感が良い文章である。これ、読み聞かせしたら面白いかな。読むほうは大変そうだが。聞かせるタイミングもね。
しかし、一度は是非読んでもらいたい一冊。
2006年05月22日
花は桜木、人は武士
『いま、拠って立つべき”日本の精神” 武士道』
新渡戸稲造 著/岬龍一郎 訳
PHP文庫
この本は、武士道を体系化して記述した本である。
新渡戸稲造は明治から昭和初期にかけて活躍した思想家・教育家らしい。私は旧五千円札の肖像画の人であることと、倫理の授業で教わったことくらいしか知らなかったので、『武士道』を読むのはもちろんこれが初めてである。
新渡戸氏はキリスト教徒であるが、彼の善悪や正義の観念を形成したものは武士道であった。日本の道徳観念を説明するには、まず封建制と武士道を説明しなければならないと考えた氏は、それらを紹介するために、この本、『Bushido―The Soul of Japan』を記した。紹介することが目的なので、論点ごとにヨーロッパの歴史・文学やキリスト教の例を挙げて説明されている。
新渡戸氏は、「武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である」という。人としての正しい行いである「義」を礎とし、「仁」や「礼」などといった徳目が成立するのが武士道である。また女性の地位や、切腹・あだ討ちについても言及している。しかし、それらの概念は日本の武士道に特有のものではなく、世界的に見られる観念であるという。詳しくは読んでもらいたい。読みやすい本である。
本書は日本人擁護の本でもあるし、リーダー論について書かれた本でもある。
愛国心云々について騒がれる昨今、愛国心とは何か、日本人とは何か、を考えながら読んでもらいたい一冊。
新渡戸稲造 著/岬龍一郎 訳
PHP文庫
この本は、武士道を体系化して記述した本である。
新渡戸稲造は明治から昭和初期にかけて活躍した思想家・教育家らしい。私は旧五千円札の肖像画の人であることと、倫理の授業で教わったことくらいしか知らなかったので、『武士道』を読むのはもちろんこれが初めてである。
新渡戸氏はキリスト教徒であるが、彼の善悪や正義の観念を形成したものは武士道であった。日本の道徳観念を説明するには、まず封建制と武士道を説明しなければならないと考えた氏は、それらを紹介するために、この本、『Bushido―The Soul of Japan』を記した。紹介することが目的なので、論点ごとにヨーロッパの歴史・文学やキリスト教の例を挙げて説明されている。
新渡戸氏は、「武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である」という。人としての正しい行いである「義」を礎とし、「仁」や「礼」などといった徳目が成立するのが武士道である。また女性の地位や、切腹・あだ討ちについても言及している。しかし、それらの概念は日本の武士道に特有のものではなく、世界的に見られる観念であるという。詳しくは読んでもらいたい。読みやすい本である。
本書は日本人擁護の本でもあるし、リーダー論について書かれた本でもある。
愛国心云々について騒がれる昨今、愛国心とは何か、日本人とは何か、を考えながら読んでもらいたい一冊。
2006年04月22日
理不尽さと素晴らしさ
『キーリ:死者たちは荒野に眠る』
『キーリU:砂の上の白い航跡』
『キーリV:惑星へ往く囚人たち』
『キーリW:長い夜は深淵のほとりで』
『キーリX:はじまりの白日の庭(上)』
『キーリY:はじまりの白日の庭(下)』
『キーリZ:幽谷の風は吹きながら』
『キーリ[:死者たちは荒野に永眠る(上)』
『キーリ\:死者たちは荒野に永眠る(下)』
壁井ユカコ 著/田上俊介 イラスト
これは「まわりくどい性格の少女と面倒くさい性格の男がくっついたり離れたりする話であり、人生くたびれた男が生きる意味を取り戻す話」である。
一応、近未来物…なんだろうか? とある寂れた惑星を舞台にくりひろげられる、キーリとハーヴェイと兵長の旅の話であり、その惑星の歴史(特に戦争)の話でもある。信仰の話でもあるだろう。著者の壁井ユカコ氏は廃墟が好きだそうだが、まさにそんな世界観である。惑星そのものが寂れて、打ち捨てられた廃墟のようだ。
『キーリ』の初巻が出版されたのは2003年。友人にすすめられて何気なく手に取ったが、気付けば3年間、この物語の続きを楽しみにしていたように思う。実は、読んでいる小説がリアルタイムで完結を迎えるのは初めてのことである。『ロードス島戦記』にしろ『ルナル・サーガ』にしろ『銀河英雄伝説』にしろ、私が読み始めた時には物語はすでに完結していた。何か感慨深いものがある。
『キーリ』は終わり方も良かった。続編が出て欲しいというような気持ちはおきない。この物語は、本当にこれで完結なんだと思う。
ライトノベルだが、是非人にすすめたくなるシリーズ。
『キーリU:砂の上の白い航跡』
『キーリV:惑星へ往く囚人たち』
『キーリW:長い夜は深淵のほとりで』
『キーリX:はじまりの白日の庭(上)』
『キーリY:はじまりの白日の庭(下)』
『キーリZ:幽谷の風は吹きながら』
『キーリ[:死者たちは荒野に永眠る(上)』
『キーリ\:死者たちは荒野に永眠る(下)』
壁井ユカコ 著/田上俊介 イラスト
これは「まわりくどい性格の少女と面倒くさい性格の男がくっついたり離れたりする話であり、人生くたびれた男が生きる意味を取り戻す話」である。
一応、近未来物…なんだろうか? とある寂れた惑星を舞台にくりひろげられる、キーリとハーヴェイと兵長の旅の話であり、その惑星の歴史(特に戦争)の話でもある。信仰の話でもあるだろう。著者の壁井ユカコ氏は廃墟が好きだそうだが、まさにそんな世界観である。惑星そのものが寂れて、打ち捨てられた廃墟のようだ。
『キーリ』の初巻が出版されたのは2003年。友人にすすめられて何気なく手に取ったが、気付けば3年間、この物語の続きを楽しみにしていたように思う。実は、読んでいる小説がリアルタイムで完結を迎えるのは初めてのことである。『ロードス島戦記』にしろ『ルナル・サーガ』にしろ『銀河英雄伝説』にしろ、私が読み始めた時には物語はすでに完結していた。何か感慨深いものがある。
『キーリ』は終わり方も良かった。続編が出て欲しいというような気持ちはおきない。この物語は、本当にこれで完結なんだと思う。
ライトノベルだが、是非人にすすめたくなるシリーズ。
2006年03月11日
現代版アラビアンナイト
『不思議を売る男』
ジェラルディン・マコーリアン 作/金原瑞人 訳/佐竹美保 絵
これは、エイルサというイギリスに住む少女の前に突然現れた男の話が載っている。「男の話」とは「男についての話」であり、「男の語った話」ということでもある。
男はエイルサの母親が経営する古道具屋で働くことになるが、古道具についての話を、まるで見てきたかのように細かに話す。その話が1章づつ載っている。短編集のような本だが、章が進むに連れてちゃんとエイルサや男の話も進行していくという構成。
この短編が面白い!
それぞれの話にテーマがあって多少訓話っぽい部分もあるが、読んでいて新鮮味がある。かと思えばオーソドックスなストーリーもあったり。でも、全ての短編が面白い。私が好きなのは第4章「中国のお皿」と第11章「鉛の兵隊」。訳者の金原氏は第11章を、これひとつだけでも普通の本の何十冊分もの値打ちがあるといい、「『珠玉のような短編』とはこういうのをいうのでしょう」という。まさにその通りだと思う。オー・ヘンリーや星新一の短編を、ひとつの流れに沿って、それ自体がストーリーを持つように配置したものと言うのは言いすぎかもしれないが、そんな感じ。
表紙や挿絵、各章ごとの扉絵なども、版画調(あるいは本当に版画なのか?)で良い雰囲気。
終わり方も、「あー、そうくるかー」という驚きがある。私は今読み流したままだが、人によっては様々な解釈があるかもしれない。深く読もうと思えば深く読めるはずだし、さらっと読もうと思えばそう読めるはず。
何度も読み返したくなる1冊。
読む時は、絶対に初めから順番に読んでください。くれぐれも最後の章から読んだりしないように!
ジェラルディン・マコーリアン 作/金原瑞人 訳/佐竹美保 絵
これは、エイルサというイギリスに住む少女の前に突然現れた男の話が載っている。「男の話」とは「男についての話」であり、「男の語った話」ということでもある。
男はエイルサの母親が経営する古道具屋で働くことになるが、古道具についての話を、まるで見てきたかのように細かに話す。その話が1章づつ載っている。短編集のような本だが、章が進むに連れてちゃんとエイルサや男の話も進行していくという構成。
この短編が面白い!
それぞれの話にテーマがあって多少訓話っぽい部分もあるが、読んでいて新鮮味がある。かと思えばオーソドックスなストーリーもあったり。でも、全ての短編が面白い。私が好きなのは第4章「中国のお皿」と第11章「鉛の兵隊」。訳者の金原氏は第11章を、これひとつだけでも普通の本の何十冊分もの値打ちがあるといい、「『珠玉のような短編』とはこういうのをいうのでしょう」という。まさにその通りだと思う。オー・ヘンリーや星新一の短編を、ひとつの流れに沿って、それ自体がストーリーを持つように配置したものと言うのは言いすぎかもしれないが、そんな感じ。
表紙や挿絵、各章ごとの扉絵なども、版画調(あるいは本当に版画なのか?)で良い雰囲気。
終わり方も、「あー、そうくるかー」という驚きがある。私は今読み流したままだが、人によっては様々な解釈があるかもしれない。深く読もうと思えば深く読めるはずだし、さらっと読もうと思えばそう読めるはず。
何度も読み返したくなる1冊。
読む時は、絶対に初めから順番に読んでください。くれぐれも最後の章から読んだりしないように!
2006年03月05日
子供だって色々と考えている
『ルイーゼの星』
カーレン‐スーザン・フェッセル 作/オルセン昌子 訳
これは、10歳の女の子ルイーゼが、癌になった母親が亡くなるまでの生活を振り返る話。
初めは、大人が書いた子供の視点だなぁと思いながら読んでいたが、母親の症状が進むに連れて、その辺りは気にならなくなる。この本は〈死〉がテーマだと思うが、作者が言いたいのは〈死〉を取り巻く環境の方だろう。しかも、患者から見た周囲ではなく、周囲のある人物(患者の娘)から見た周囲である。特にルイーゼは子供なので、大人が子供に対してどのように情報を伝え、あるいは隠しているかが書かれている。この点が、読んでいて面白いし、読む甲斐があると思う。
この本はドイツでは児童文学として出版されたが、日本では訳者のオルセン氏が「大人にも読んでもらいたい」と切望し一般文藝として出版されたという。大人、子供、どちらが読んでも考えるところのある本だろう。
個人的には、ヤンニというルイーゼの母親の友人(男)が、同性愛者であったり、マイスター試験に受かったり、という辺りはドイツの本だなぁと思った。偏見というなかれ。日本の児童文学だと、こういう同性愛とかマリファナなどの記述は出てこないよ。
訳で気になったのは、タイトル。『ルイーゼの星』になっているが、正直なところ、書店で見かけた時はルイーゼが死ぬのかと思った。ドイツ語では『Ein Stern namens Mama』となっていて、これは「ママという名の星」という意味。ルイーゼが、ママは星になったと受け止めているので「ルイーゼの星」としたのかもしれないが、ルイーゼの弟のルーベンや父親もそう受け止めているので、ルイーゼだけの星ではないはずだ。それに、「ママという名の星」とした方が、本文の最後の一行が際立つ。作者もそれを意図してあの一行を書いたはずだ。その辺り、どうなんだろうか。
それから、ガン(癌)とガン(銃)とを混同するシーンがあるが、原作ではどうなっているんだろう?癌は「krebszelle」だし、銃は「gewehr」だと思うんだけど…(自信薄)。そもそも英語でも癌は「cancer」だし。当然ながらガンとは発音しないわけで。訳できっとうまいこと訳したんだろうけど、何とかけられていたんだろう?興味深い。こんなとき、原典が読めるといいね。勉強しよ。私が知らないだけで、銃を癌と似たような発音での言い方があるのかもしれないし。
子供や、癌でなくとも難しい病気の患者の周囲の人々が読むといいんじゃないかと思う。
是非、映画で見たいと思う1冊。いやあ〜、読んでて泣きそうになったよ。
閑話
タイトルの「namens」が「〜という名の」という意味だということを確認しようと辞書をひくと、例文が以下のものだった(太字はウムラウト表記で)。
ein Mann namens Muller
(ミュラーという男)
銀河英雄伝説のミュラー(帝国軍人)ファンとしては、少しドキドキした。
本当に閑話で失礼。
カーレン‐スーザン・フェッセル 作/オルセン昌子 訳
これは、10歳の女の子ルイーゼが、癌になった母親が亡くなるまでの生活を振り返る話。
初めは、大人が書いた子供の視点だなぁと思いながら読んでいたが、母親の症状が進むに連れて、その辺りは気にならなくなる。この本は〈死〉がテーマだと思うが、作者が言いたいのは〈死〉を取り巻く環境の方だろう。しかも、患者から見た周囲ではなく、周囲のある人物(患者の娘)から見た周囲である。特にルイーゼは子供なので、大人が子供に対してどのように情報を伝え、あるいは隠しているかが書かれている。この点が、読んでいて面白いし、読む甲斐があると思う。
この本はドイツでは児童文学として出版されたが、日本では訳者のオルセン氏が「大人にも読んでもらいたい」と切望し一般文藝として出版されたという。大人、子供、どちらが読んでも考えるところのある本だろう。
個人的には、ヤンニというルイーゼの母親の友人(男)が、同性愛者であったり、マイスター試験に受かったり、という辺りはドイツの本だなぁと思った。偏見というなかれ。日本の児童文学だと、こういう同性愛とかマリファナなどの記述は出てこないよ。
訳で気になったのは、タイトル。『ルイーゼの星』になっているが、正直なところ、書店で見かけた時はルイーゼが死ぬのかと思った。ドイツ語では『Ein Stern namens Mama』となっていて、これは「ママという名の星」という意味。ルイーゼが、ママは星になったと受け止めているので「ルイーゼの星」としたのかもしれないが、ルイーゼの弟のルーベンや父親もそう受け止めているので、ルイーゼだけの星ではないはずだ。それに、「ママという名の星」とした方が、本文の最後の一行が際立つ。作者もそれを意図してあの一行を書いたはずだ。その辺り、どうなんだろうか。
それから、ガン(癌)とガン(銃)とを混同するシーンがあるが、原作ではどうなっているんだろう?癌は「krebszelle」だし、銃は「gewehr」だと思うんだけど…(自信薄)。そもそも英語でも癌は「cancer」だし。当然ながらガンとは発音しないわけで。訳できっとうまいこと訳したんだろうけど、何とかけられていたんだろう?興味深い。こんなとき、原典が読めるといいね。勉強しよ。私が知らないだけで、銃を癌と似たような発音での言い方があるのかもしれないし。
子供や、癌でなくとも難しい病気の患者の周囲の人々が読むといいんじゃないかと思う。
是非、映画で見たいと思う1冊。いやあ〜、読んでて泣きそうになったよ。
閑話
タイトルの「namens」が「〜という名の」という意味だということを確認しようと辞書をひくと、例文が以下のものだった(太字はウムラウト表記で)。
ein Mann namens Muller
(ミュラーという男)
銀河英雄伝説のミュラー(帝国軍人)ファンとしては、少しドキドキした。
本当に閑話で失礼。
2006年02月18日
「ノーテンキズム」と「ブラカシー」
『海ゆかば山ゆかば:日本人と軍歌』
林秀彦 文
タイトル通り、日本人と軍歌について林氏の考えが書かれている。
正直なところ、書評を書くか書かないか迷ったが、ある意味で示唆に富む内容だと思ったので書いてみようと思います。長くて読みにくいと思いますが、そこは勘弁してください。
大雑把にいえば、林氏がいいたいのは「日本人の愛国心の復古」である。そのためには、日本のアイデンティティを確立しなければならない。
氏は文明を「量の文明」と「質の文明」とに二分し、西洋社会を「量の文明」、日本を「質の文明」と分類する。第二次世界大戦は、その量の文明と質の文明の衝突であった。日本は量の文明の植民地(この植民地支配という、自国の外に植民地を求める考え方はまさに「量の文明」である)にならないために、列強の仲間に参加しなければならなかった。つまり、量の文明に追従しなくてはならなかったのだが、日本のとってはその概念が本質的なものでない以上、その努力は滑稽であったという。すなわち、絶対的な「量」としての軍事力を相手に、大和魂や武士道、一億一心などの「質」で対抗しようとしたのである。林氏が取り戻さねばならないという日本のアイデンティティ、本質は、この「質の文明」である。氏は、その象徴は軍歌の中にあるとする。
軍歌は日本と日本人にテーマを絞っている。これはテーマが重いとか軽いとかの話ではなく、時代としての日本と日本人を的確にテーマ化し表現できた歌曲ということだ。また、そのテーマを愛国心と結び付けている。私などは愛国心というと「ん?」という気持ちになるが、林氏に言わせれば、それは戦後のニッキョーソの自虐史観教育のせいであるという。日本の軍歌(もっとも、ミリタリーソングではなく「軍歌」と呼ばれるようなものは日本にしか存在しないと著者はいう)は、ただ兵士の戦意を鼓舞する以上のテーマ、すなわち明治維新以来やっと固まった国民国家としての国民意識を謳歌するフォークソングの性格が混入されていたのだ。その他、軍歌を構成する言葉、国語の問題など色々と語っているが、その辺りは直接読んで欲しい。私が説明するのは不可能である。
そもそも林氏は、テロにより2機の航空機が突っ込み崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルと、その周囲の瓦礫に、現在の日本の姿を見ている。戦後、一度瓦礫になった日本は、復興を果たしたように見えるが、実はその瓦礫の上にまた瓦礫を積み上げているだけに過ぎないという。日本ほど、愛国心のない国はない。それは国家としての意識がないのである。愛国心がなければ、日本は消滅するのだ。日本が国家として採る伝統的な「立場=イデオロギー」はコミュニズムではなく「ノーテンキズム」であり、デモクラシーではなく「ブラカシー」である。「ぶらかし」とは広辞苑にも載っていないが日本語で、「態度をきめかね、曖昧に問題処理を一寸延ばしの先送りにする姿勢」のことだという。まさにいいえて妙である。林氏はこうもいう。
「大東亜戦争は四十四ヶ月続き、兵士、軍属、民間人を含め三百十万人の死者を出したのである。戦後の傷病死を含めれば、死者は五百万人を超える。・・・(中略)・・・不謹慎な表現を承知で言えば、この尊い犠牲は、新たな愛国心を育てる貴重なチャンスだったのである。私たちはそれをドブに投げ捨てたのである。」
どうにも日本の独自性を強調しすぎる感はあるし、十把一からげに「諸君ら若者は」、「日本人は」と言ってしまうのは、読んでいてどうにも嫌な感じである。また「もし大東亜戦争で本土内の決戦が行われていれば、私たちの愛国心は自然発生したに違いない。目の前で肉親が強姦され、虐殺される場面に立ち会うことは、いかなる愛国心の鼓舞よりまさる。しかし沖縄を除いて、それは起こらなかった」というが、でははたして沖縄において愛国心(あるいは日本人であるという意識!)が生じたかどうか。むしろ日本兵の蛮行ばかりが強調されているように思う(勿論、アメリカーに対する意識も良いものではない)。もっとも、氏はそれが戦後のニッキョーソのせいであるというのだろう。日本を1つと考えていいのかという問題はこの際おいておくが、どうにも話を普遍化しすぎるように思う。読んでいて、少しイライラしたりもする。
けれども、ある意味で非常に示唆に富む内容だと思った。是非読んでみて欲しい。
いやあ、軍歌にも色々あるんだねー、という感じ。
読みにくくて非常に申し訳ないです。

林秀彦 文
タイトル通り、日本人と軍歌について林氏の考えが書かれている。
正直なところ、書評を書くか書かないか迷ったが、ある意味で示唆に富む内容だと思ったので書いてみようと思います。長くて読みにくいと思いますが、そこは勘弁してください。
大雑把にいえば、林氏がいいたいのは「日本人の愛国心の復古」である。そのためには、日本のアイデンティティを確立しなければならない。
氏は文明を「量の文明」と「質の文明」とに二分し、西洋社会を「量の文明」、日本を「質の文明」と分類する。第二次世界大戦は、その量の文明と質の文明の衝突であった。日本は量の文明の植民地(この植民地支配という、自国の外に植民地を求める考え方はまさに「量の文明」である)にならないために、列強の仲間に参加しなければならなかった。つまり、量の文明に追従しなくてはならなかったのだが、日本のとってはその概念が本質的なものでない以上、その努力は滑稽であったという。すなわち、絶対的な「量」としての軍事力を相手に、大和魂や武士道、一億一心などの「質」で対抗しようとしたのである。林氏が取り戻さねばならないという日本のアイデンティティ、本質は、この「質の文明」である。氏は、その象徴は軍歌の中にあるとする。
軍歌は日本と日本人にテーマを絞っている。これはテーマが重いとか軽いとかの話ではなく、時代としての日本と日本人を的確にテーマ化し表現できた歌曲ということだ。また、そのテーマを愛国心と結び付けている。私などは愛国心というと「ん?」という気持ちになるが、林氏に言わせれば、それは戦後のニッキョーソの自虐史観教育のせいであるという。日本の軍歌(もっとも、ミリタリーソングではなく「軍歌」と呼ばれるようなものは日本にしか存在しないと著者はいう)は、ただ兵士の戦意を鼓舞する以上のテーマ、すなわち明治維新以来やっと固まった国民国家としての国民意識を謳歌するフォークソングの性格が混入されていたのだ。その他、軍歌を構成する言葉、国語の問題など色々と語っているが、その辺りは直接読んで欲しい。私が説明するのは不可能である。
そもそも林氏は、テロにより2機の航空機が突っ込み崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルと、その周囲の瓦礫に、現在の日本の姿を見ている。戦後、一度瓦礫になった日本は、復興を果たしたように見えるが、実はその瓦礫の上にまた瓦礫を積み上げているだけに過ぎないという。日本ほど、愛国心のない国はない。それは国家としての意識がないのである。愛国心がなければ、日本は消滅するのだ。日本が国家として採る伝統的な「立場=イデオロギー」はコミュニズムではなく「ノーテンキズム」であり、デモクラシーではなく「ブラカシー」である。「ぶらかし」とは広辞苑にも載っていないが日本語で、「態度をきめかね、曖昧に問題処理を一寸延ばしの先送りにする姿勢」のことだという。まさにいいえて妙である。林氏はこうもいう。
「大東亜戦争は四十四ヶ月続き、兵士、軍属、民間人を含め三百十万人の死者を出したのである。戦後の傷病死を含めれば、死者は五百万人を超える。・・・(中略)・・・不謹慎な表現を承知で言えば、この尊い犠牲は、新たな愛国心を育てる貴重なチャンスだったのである。私たちはそれをドブに投げ捨てたのである。」
どうにも日本の独自性を強調しすぎる感はあるし、十把一からげに「諸君ら若者は」、「日本人は」と言ってしまうのは、読んでいてどうにも嫌な感じである。また「もし大東亜戦争で本土内の決戦が行われていれば、私たちの愛国心は自然発生したに違いない。目の前で肉親が強姦され、虐殺される場面に立ち会うことは、いかなる愛国心の鼓舞よりまさる。しかし沖縄を除いて、それは起こらなかった」というが、でははたして沖縄において愛国心(あるいは日本人であるという意識!)が生じたかどうか。むしろ日本兵の蛮行ばかりが強調されているように思う(勿論、アメリカーに対する意識も良いものではない)。もっとも、氏はそれが戦後のニッキョーソのせいであるというのだろう。日本を1つと考えていいのかという問題はこの際おいておくが、どうにも話を普遍化しすぎるように思う。読んでいて、少しイライラしたりもする。
けれども、ある意味で非常に示唆に富む内容だと思った。是非読んでみて欲しい。
いやあ、軍歌にも色々あるんだねー、という感じ。
読みにくくて非常に申し訳ないです。
2006年02月11日
「生命をつくること」へのあこがれ
『明和電機:魚コードのできるまで』
明和電機・代表取締役社長 土佐信道 イラスト/文
これは明和電機の「製品」が出来るまでの、構想や試行錯誤の記録を集めたもの。
明和電機は聞いたことはあったが、「ノックマン」や「サバオ」を出していることくらいしか知らなかった。「HEY!×3」に出演していたのをみたことがあるくらい。どんな話をしていたかも覚えていない。ただ、「ノックマン」と「サバオ」はその時に見た。
シリーズがあったんだね。それぞれに奇抜な発想とコンセプトがあって、モノをつくるということは、それ自体で表現行為なんだなぁと感じた。
明和電機がモノをつくるのは、「生命をつくりだしたい」という欲求かららしい。それは、やがて「自分とは何か?」という問いに繋がっていく。
私は直に明和電機の「製品」を見たことはないが、彼らの作品は哲学だと思った。
生と死と性とが表現されている。
正直なところ、私はこういうのが好きではない。表現は悪いかもしれないが、明和電機の作品はグロテスクすぎる(貶しているわけではない)。「サバオ」のようなモチーフ(胎児)を可愛いという人がいるが、私は怖いと感じる(決して貶しているわけではない)。
これは、吉野弘の「I was born」を読んで感じる怖さと、まったく同質のものだろう。死や破滅、生(そして生殖)、またあるいは感情など、人間の内面や根本について考えたくないのかもしれない。ただの逃げということもできると思うが。
まあ、それはさておき。カタログっぽいのに色々と考えさせられる1冊。
生や死や性ということだけじゃなしに、発想法とか、モノをつくるってどういうことかとかね。思わず笑ってしまう「製品」もあります。
明和電機・代表取締役社長 土佐信道 イラスト/文
これは明和電機の「製品」が出来るまでの、構想や試行錯誤の記録を集めたもの。
明和電機は聞いたことはあったが、「ノックマン」や「サバオ」を出していることくらいしか知らなかった。「HEY!×3」に出演していたのをみたことがあるくらい。どんな話をしていたかも覚えていない。ただ、「ノックマン」と「サバオ」はその時に見た。
シリーズがあったんだね。それぞれに奇抜な発想とコンセプトがあって、モノをつくるということは、それ自体で表現行為なんだなぁと感じた。
明和電機がモノをつくるのは、「生命をつくりだしたい」という欲求かららしい。それは、やがて「自分とは何か?」という問いに繋がっていく。
私は直に明和電機の「製品」を見たことはないが、彼らの作品は哲学だと思った。
生と死と性とが表現されている。
正直なところ、私はこういうのが好きではない。表現は悪いかもしれないが、明和電機の作品はグロテスクすぎる(貶しているわけではない)。「サバオ」のようなモチーフ(胎児)を可愛いという人がいるが、私は怖いと感じる(決して貶しているわけではない)。
これは、吉野弘の「I was born」を読んで感じる怖さと、まったく同質のものだろう。死や破滅、生(そして生殖)、またあるいは感情など、人間の内面や根本について考えたくないのかもしれない。ただの逃げということもできると思うが。
まあ、それはさておき。カタログっぽいのに色々と考えさせられる1冊。
生や死や性ということだけじゃなしに、発想法とか、モノをつくるってどういうことかとかね。思わず笑ってしまう「製品」もあります。
2006年01月24日
1から数え始めて、決して2には辿り着かない。
『らくだこぶ書房21世紀古書目録』
クラフト・エヴィング商會 著/坂本真典 写真
ある日、クラフト・エヴィング商會に、小包が届く。小包の中からは大量の砂と一冊の書物、そして「らくだこぶ書房」店主氏からの謎の手紙。何とこれは、未来から〈Sand mail〉なる方法で送られてきた、未来の古書目録なのだ。
本の内容は、西暦2052年に存在する「らくだこぶ書房」から取り寄せた本の紹介である。
『茶柱』、『7/3-横分けの修辞学』、『羊羹トイウ名ノ闇』 etc...どれも是非読んでみたいタイトルである。何より、取り寄せた本の写真まで載せられているのが嬉しい。勿論、架空の本なわけだが、これは装丁好きにはたまらない!いや、装丁にあまり興味がなくても、各本の内容も奇妙奇天烈(言いすぎか?)なので楽しめると思う。くだらないことを真剣に考えるという、このテイストが好きだ。本全体の雰囲気も、不思議で静かで良い。
ところで、この本。未来から来た本を紹介しながら、「時間」について考察する。
過去とは、そして未来とは何なのか?
現在とは果たして存在するのか?今、こうして文章を打っていても、その間にすでに何秒か未来へ進んでいる。すると現在は、「少し先の未来」だということも出来るが、少し先の未来というからには、それは現在ではなく未来なのだ。すると、現在と思った瞬間はすでに過去になるわけで。そもそも、時間軸を真っ直ぐに設定することが間違っているのかもしれない。時間は砂時計を引っ繰り返す様に、過去と未来を何度も往復するものなのかもしれない。
そんなことを考えてしまう一冊。
何より仕掛け(構成)がいいよ、これ。
*****
余談ですが、誰か、時間は球の様なものだといった人がいましたよね?そんな感じなのかもしれない。
クラフト・エヴィング商會 著/坂本真典 写真
ある日、クラフト・エヴィング商會に、小包が届く。小包の中からは大量の砂と一冊の書物、そして「らくだこぶ書房」店主氏からの謎の手紙。何とこれは、未来から〈Sand mail〉なる方法で送られてきた、未来の古書目録なのだ。
本の内容は、西暦2052年に存在する「らくだこぶ書房」から取り寄せた本の紹介である。
『茶柱』、『7/3-横分けの修辞学』、『羊羹トイウ名ノ闇』 etc...どれも是非読んでみたいタイトルである。何より、取り寄せた本の写真まで載せられているのが嬉しい。勿論、架空の本なわけだが、これは装丁好きにはたまらない!いや、装丁にあまり興味がなくても、各本の内容も奇妙奇天烈(言いすぎか?)なので楽しめると思う。くだらないことを真剣に考えるという、このテイストが好きだ。本全体の雰囲気も、不思議で静かで良い。
ところで、この本。未来から来た本を紹介しながら、「時間」について考察する。
過去とは、そして未来とは何なのか?
現在とは果たして存在するのか?今、こうして文章を打っていても、その間にすでに何秒か未来へ進んでいる。すると現在は、「少し先の未来」だということも出来るが、少し先の未来というからには、それは現在ではなく未来なのだ。すると、現在と思った瞬間はすでに過去になるわけで。そもそも、時間軸を真っ直ぐに設定することが間違っているのかもしれない。時間は砂時計を引っ繰り返す様に、過去と未来を何度も往復するものなのかもしれない。
そんなことを考えてしまう一冊。
何より仕掛け(構成)がいいよ、これ。
*****
余談ですが、誰か、時間は球の様なものだといった人がいましたよね?そんな感じなのかもしれない。
2006年01月22日
イメージの魔術師
『シンデレラ―または小さなガラスのくつ』
ペロー童話/エロール・ル・カイン 絵/中川千尋 訳
これは、シャルル・ペローの「シンデレラ」を、ル・カインが絵本にしたもの。
私の知っているシンデレラのストーリーは、「シンデレラが継母と義理の姉さん達に苛められており舞踏会にも連れていってもらえなかったところ、魔法使いが現れてかぼちゃの馬車や、ネズミの馬(御者)、ガラスの靴を出して舞踏会に連れて行ってくれる…」というストーリーだが、実はこの「かぼちゃの馬車〜」の辺りはペローが脚色したものらしい。
うーん、ガラスの靴を付け加えたのはディズニーだと思ってたよ。ちなみにグリム童話に出てくる靴はガラスではないそうだ。
あれ? でも「ブラザーズ・グリム」(映画)にはガラスの靴のモチーフが出てたよね?
まあ、とにかくこの絵本は私の知っている典型的なシンデレラの話だったわけですが。
イラストが素晴らしい!
さすが、イメージの魔術師。
や、私、ル・カインが好きなので贔屓目もありますが、綺麗なんですよ。
金色をあらわす黄色いの部分が、本当に光っているみたいに見える。
ドレスの装飾とか、家具、馬車、建物の装飾も細かく描かれていてすごい。しかも、物の質感まできちんと伝わってくる。ドレスなんて、刺繍されているのが分かる!
文章が書かれている頁も、文章の周りを絵が取り囲んでいるところもある。「いばらひめ」や「おどる12人のおひめさま」などもそうだが、その周りの絵も描き込まれている。
とにかく絵柄も細かいし、芸も細かいんですよ。
ただ、カラーのイラストを白黒にして、本文中に使っていたりとかするので、その辺りは使いまわしでもすべてカラーで見たかったかも。もしかして、元のもの(ル・カインが出した頃)もそういう構成になってるのかな?
そこが少し残念ですね。
日本語訳のほうも、特には引っかかるところは……あ、「仙女」は少し引っかかったな。
西洋の話で「仙女」ってどうなんだ?
子供には「仙女」よりも「魔法使い」の方が分かりやすいのではないかと思うが。それとも、原文が「witch」とか「magician」とはなっていないのかな?
ル・カインは東洋にすごく興味があったようだが、そのせいか?
でもまあ、全体的に良かったです。絵本は絵にインパクトがあるのが大切だよ。
ペロー童話/エロール・ル・カイン 絵/中川千尋 訳
これは、シャルル・ペローの「シンデレラ」を、ル・カインが絵本にしたもの。
私の知っているシンデレラのストーリーは、「シンデレラが継母と義理の姉さん達に苛められており舞踏会にも連れていってもらえなかったところ、魔法使いが現れてかぼちゃの馬車や、ネズミの馬(御者)、ガラスの靴を出して舞踏会に連れて行ってくれる…」というストーリーだが、実はこの「かぼちゃの馬車〜」の辺りはペローが脚色したものらしい。
うーん、ガラスの靴を付け加えたのはディズニーだと思ってたよ。ちなみにグリム童話に出てくる靴はガラスではないそうだ。
あれ? でも「ブラザーズ・グリム」(映画)にはガラスの靴のモチーフが出てたよね?
まあ、とにかくこの絵本は私の知っている典型的なシンデレラの話だったわけですが。
イラストが素晴らしい!
さすが、イメージの魔術師。
や、私、ル・カインが好きなので贔屓目もありますが、綺麗なんですよ。
金色をあらわす黄色いの部分が、本当に光っているみたいに見える。
ドレスの装飾とか、家具、馬車、建物の装飾も細かく描かれていてすごい。しかも、物の質感まできちんと伝わってくる。ドレスなんて、刺繍されているのが分かる!
文章が書かれている頁も、文章の周りを絵が取り囲んでいるところもある。「いばらひめ」や「おどる12人のおひめさま」などもそうだが、その周りの絵も描き込まれている。
とにかく絵柄も細かいし、芸も細かいんですよ。
ただ、カラーのイラストを白黒にして、本文中に使っていたりとかするので、その辺りは使いまわしでもすべてカラーで見たかったかも。もしかして、元のもの(ル・カインが出した頃)もそういう構成になってるのかな?
そこが少し残念ですね。
日本語訳のほうも、特には引っかかるところは……あ、「仙女」は少し引っかかったな。
西洋の話で「仙女」ってどうなんだ?
子供には「仙女」よりも「魔法使い」の方が分かりやすいのではないかと思うが。それとも、原文が「witch」とか「magician」とはなっていないのかな?
ル・カインは東洋にすごく興味があったようだが、そのせいか?
でもまあ、全体的に良かったです。絵本は絵にインパクトがあるのが大切だよ。

